Tetsuya-took-ishikari1-1960's
本日は私の画像ではなく、父の写真を使わせて頂きます。

先日5月20日に父が永眠致しました。83歳でした。

父が生まれた我が家は、

京都でも有数の呉服商の分家で、

超が付くほどの、かなりの裕福な家だったそうです。

それが、一転したのが中学のころ、

祖父が商売で、大きな不渡りを出して、

家が傾いた直後に、祖父が心筋梗塞で急逝。

そこから、高校卒業後に、

普通にサラリーマンとして、

生計を立ててきました。

サラリーマン生活も落ち着いてきた、

20代のころ、キャンプ道具を背負い、

日本全国を旅して巡ったようです。

その時の一枚が残っています。

生前の話から、1960年代の根室本線狩勝峠の写真です。

別の写真にキハ56系の写真がありましたので、

おそらく急行「狩勝」でしょう。

急行「狩勝」が気動車化したのが、昭和36(1961)年。

この写っている旧狩勝線が、現在の新線に切り替えられたのが、

昭和41年(1966)年。

ということは、もうすぐこの旧線が廃止になるので、

撮影しに行ったと思われます。

信号場までSLのデッキに乗せてもらって、

ここまでこのポイントへ行ったと、生前言っていました。

っと、こここまで説明しながらも、

父は鉄分は0%でした。

どちらかというと、風景写真にハマっていた時期があるようです。

しかも一時期です。

私が知る限りは、もう写真趣味は止めていました。

なので僅かながら、

鉄道が写っている写真を、

以前に、スキャンさせてもらったのがこれです。



家では無口で、全然喋らない、

さらに怒ると怖い父に、

幼い私が懐かなかった様で、

親子関係を心配した母の薦めで、

息子の私を連れて

いろいろ関西圏の電車に乗せてもらった記憶があります。

それで、鉄道好きになったと言いたいところですが、

元々は、母に私が「電車が好き」と告白したのが、

きっかけだったようです。

それで、ますます電車好きに拍車が掛かったのかもしれません。

私もバックパッカーとして海外を旅して、

カメラは、鉄道写真という変形型ですが、

気質は、息子も引き継ぎました。

血筋って面白いもんで、

祖父も写真好きだったようです。

ジャンルが違えど、

脈々とカメラ好きが受け継がれているようですね。

と言っても祖父の場合は、

セミヌードばかりを撮っていたようで、

写真が好きだったのかは疑問ですが


今日の父の話は、どう書こうかと、

いろいろ迷いながら、書いていますが、

頭の整理がついていないのは、この文章をお読みいただければ、

分かると思います。

やはり、この場所で表すには、纏めきれないたくさんの、

父との思い出があります。

そんな父と、昨日お別れをしてまいりました。

父に伝えたい言葉…

なんだろうな…

シンプルに

「ありがとう」ですかね。

根室本線狩勝信号所付近 1960年代撮影(推測)